もし、このような仕組みが存在した場合、
あなたはどのように考えますか?
【臓器くじ】
ルール1.公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。
ルール2.その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。
ルール3.臓器くじによって、くじに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。
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反対例①:事故にあって死ぬことよりも積極的に殺すことのほうが罪が重い。
肯定例①:臓器が必要な人をそのまま死なせるのは見殺しにするのと同じことであって、移植しようがしまいが殺すことに変わりないのではないか。
反対例②:臓器が必要な人をそのまま死なせることは消極的に殺すことであり、健康な人から臓器をとるのは積極的に殺すことであり、その意味は当然異なる。
肯定例②:過程がどうであれ、最終的に多数の命を救う事に比べれば、一人の犠牲に対する意味の違いなどは重要ではない。
反対例③:いつ臓器を奪われるか分からない状況に怯えることになる。
肯定例③:人類全体から完全にランダムで選出するのであれば病気や事故に遭って死ぬ確率がごくわずかに増えるのと同じことである。
反対例④:こうした社会制度の下では、臓器を提供する側から除外されるよう人々が競って不健康になろうとするというモラル・ハザードが起きるのではないか。
肯定例④:不健康になれば自身が病死する確率も高まり、また、臓器を提供することのできる人間の基準が引き下げられるであろうため、長期的に見れば自身の健康をあえて損なうことの意味自体が薄れるのではないか。
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肯定例3が、一瞬、おおっ!となりました。
でも、そうすると快楽殺人犯とかも言い分として使えちゃいそう。
自分の犠牲で、5人が助かるだとうーん、って感じだけど、1000人が助かるなら、仕方ないかってなるかも。
臓器提供なしでは生きていけない人というのは人類全体の遺伝子による自浄作用によって淘汰を待つ人(人類の生存戦略)という考え方もできるんじゃないかなと思います。臓器くじで健康な人を殺し続けると、先天的に臓器移植が必要な人(ひとつまたは複数の臓器移植)の割合が増えて、健康な人の提供する臓器の数と臓器移植が必要な人の臓器の数のバランスが崩れるのかなと思います。
倫理面は置いといて話をさせてもらうと、医療の発展の為には良いんじゃないかな。臓器移植を行う頻度が格段に増えれば医者の腕も、医療機器も、適合に関する医学なんかも、全てに置いて水準が高くなっていって、臓器移植という行為が気軽なものになると思う。
(書いてて思いましたが勝手にくじ引きの頻度が多いと仮定してます。)