心理セラピストの優子の部屋は大人気だった。
彼女はカウンセリングは独特だった。
耳が聞こえず、話すことのできない彼女は、カーテン越しにすべて筆談でやりとりを行っていたのだ。
ある日、そんな商売はすべて詐欺だという男が現れ、彼女の不正を暴くために優子の部屋へ訪れた。
いくつかの定型文に回答し、カウンセリングを行ってもらった。
その最中に彼女が困るであろう質問を投げたが彼女の動揺は見られなかった。「本当はしゃべれるだろう、商売のためにやっているんだろう」という心無い質問にも彼女は気遣いを感じるような丁寧な回答してきた。
しかし、優しさや人間味溢れる対応に男はいたたまれない気持ちになったと同時に苛立ちにも襲われ、
とうとうカーテンを引っ張りおろし、彼女とのしきりを外してしまった。
そこに居たのはコンピュータの前に座る一人の外国人女性だった。
男はどういうことか聞こうとしたが、彼女は日本語が理解できてなかった。
実在していると思っている優子という女性は存在しておらず、
全てはコンピュータが入力された情報を元に決まったデータを返しているだけだったのだ。
そこには男の言葉を理解し対話出来るものは何もなかった。
今までのやり取りを思い返し、男は脳とコンピュータの違いが分からなくなってしまった。
日本語が出来ないだけで、外国人女性がコンピュータで翻訳していただけで、カウンセリング自体は外国人女性がしていた、のかと思いました。
ELIZAという古い人工知能があるのですが、ごく一般的なロジャース派のカウンセリングのような言葉を返してきます。要するに、オウム返しをしたり、話の続きを促したり、出てきた単語をもっと詳しく説明するよう質問したりする、簡単なプログラムです。
逆に、現実の人間によるカウンセリングに行った知人から「機械と話してるみたいだった、無意味だしもう行かない」という言葉を聞いた経験もあります。
人間が直接認識できるのは自分の心(のうち限られた一側面)だけなので、他の人間とAIを見分けることは難しいと思います。相手の心を直接認識できるわけでもないし、AIの主観的な世界を知ることもできないので、脳とコンピューターが同一かどうかもわかりません。他人やAIに感じる心は、自分の憶測と考えたほうが合理的でしょう。
私は『脳もコンピューターも同じ』に投票しました。
カウンセリングを受ける必要がある人は、元を辿れば親の虐待やいじめ、自分の想像とのギャップ(社会への)など、既に人の手で分類されていると自分は思っています。
カウンセリングを受けなければならなくなった原因を突き止める為の判断を行っているのが、人の脳なのかコンピューターなのかの違いでしかないと思います。
人のカウンセラーでも10人が10人同じ結果を出すとも限らないし、その10人の結果のうち幾つかはコンピューターと同じ結果になることもあると思います。
なので、『脳もコンピューターも同じ』に投票しました。
違いがあるとすれば、人であれば患者さんのフォローなどは容易に出来ると思います。(言い難いこと、あいまいなことなど)
ただ、コンピューターでもできない訳では無いので、あまり違いは無いのかな~って思います。
相手の心は自分が感じるものだと思う。
あと数年すれば人間と大差ない受け答えをできるAIができるだろう。そのAIがネットの掲示板に書き込みをするのが日常になったとする。すると書き込みを見る人間はそれが人間によって書き込まれたのか分からない。そうなったら、見る人がその文章から何を感じるかによってのみ人間か判断される、つまり見る人の心の中にしか書き込んだ人間の心は存在しない。